東條英機宣誓供述書(その9)

作成:平成18年11月12日 / 更新:平成18年11月12日

對佛印泰施策要綱

三三

以上述べました日米交渉よりは日時に於ては少し遡りますが、ここに佛印及泰との關係を説明いたします。

一九四一年(昭和十六年)一月三十日の大本營及政府連絡會議に於て「對佛印泰施策要綱」といふものを決定しました。(辯護側證第二八一二號本文書記入の日附は上奏の月日を記入せるものであります。法廷證一一〇三、及一三〇三參照)これは後日我國が爲した對佛印間の居中調停、佛印との保障及政治的了解及經濟協定の基礎を爲すものであります。右要綱の内には軍事的緊張關係の事も書いてありますが、此部分は情勢の緩和のため實行するに至らなかつたのであります。

一九四一年(昭和十六年)七月下旬の南部佛印進駐は同年六月廿五日の決定に因るものでありまして、今ここに陳述する一月卅日の施策要綱に依るのではありませぬ。從て南部佛印進駐の事は今ここには陳べませぬ。

三四

右對佛印泰施策要綱は統帥部の提案であります。

自分は無論陸軍大臣として之に參與しました。其の内容は本文に在る通りであります。而して其の目的とする所は、帝國の自存自衞のため佛印及泰に對し軍事政治、經濟の緊密不離の關係を設定するにありました。本件に關する外交交渉は專ら外相に依り取り運ばれましたので詳細は承知して居りませんが此の當時の事情は概ね次の如くであつたと承知して居ります。

三五

此の要綱の狙いは二つあります。その一つは泰、佛印間の居中調停を爲すといふことであります。その二は此の兩國に對し第三國との間に我國に對する一切の非友誼的協定を爲さしめないといふことであります。

居中調停は一九四一年(昭和十六年)一月中旬にその申出を爲し、兩國は之を受諾し、同年二月七日より東京に於て調停の會合を開き三月十一日に圓滿に調停の成立を見、之に基いて五月九日には泰佛印間の平和條約成立し(法廷證四七)、引續き現地に於て新なる國境確定が行はれました。泰は當初は「カンボヂヤ」を含む廣大な地區の要求を致しましたが我國は之を調停し彼條約通りの協定に落着かせたのであります。

第二の我國に對する非友誼的な協約を爲さずとの目的に關しては右と同時に松岡外相の手で行はれ五月九日の日佛印間及日泰間の保障及諒解の議定書となつたのであります。(證六四七中に在り)此の間の外交交渉については自分は關與致して居りません。

奥付