東條英機宣誓供述書(その6)

作成:平成18年11月05日 / 更新:平成18年11月11日

日華基本條約と日滿華共同宣言

一七

第二次近衞内閣に於て一九四〇年(昭和十五年)十一月卅日、日華基本條約を締結し日滿華共同宣言を發するに至りました事實を述べ、これが檢察側の主張するような對支侵略行爲でなかつた事を證明致します。これは一九四〇年(昭和十五年)十一月十三日の御前會議で決定せられた「支那事變處理要綱」に基くのであります。(辯護側證第二八一三號)何故に此時にかかる要綱を決定する必要があつたのかと申しますに、これより先、從前の政府も統帥部も支那事變の解決に全力を盡して居りました。一九四〇年(昭和十五年)三月には南京に新國民政府の還都を見ました。これを承認しこれとの間に基本條約を締結するために前内閣時代より阿部信行大使は已に支那に出發し、南京に滯在して居りましたが、南京との基本條約を締結する前に今一度重慶を含んだ全面和平の手を打つて見るを適當と認めました。また當時既に支那事變も三年に亘り國防力の消耗が甚だしからんとし、また米英の經濟壓迫が益々強くなつて來て居るから我國は國力の彈撥性を囘復する必要が痛感せられました。この支那事變處理要綱の骨子は

といふのでありました。

一八

右要綱(一)の對重慶和平工作は從來各種の方面、色々の人々に依つて試みられて居つたのでありますが、此時これを松岡外相の手、一本に纒めて遂行したのでありましたが、この工作は遂に成功せず、遂に南京政府との間に基本條約を締結するに至つたのであります(證四六四、英文記録五三一八頁)。この條約は松岡外相指導の下に阿部信行大使と汪兆銘氏との間に隔意なき談合の上に出來たものであつて彼の一九三八年(昭和十三年)十二月二十二日の近衞聲明(證九七二、英文記録九五二七頁)の主旨を我方より進んで約束したものであります。又同日日滿華共同宣言(證四六四號英文記録五三二二頁)に依つて日滿華の關係を明かにしました。なほ基本條約及右宣言の外に附屬の秘密協約、秘密協定並に阿部大使と汪委員長との間の交換公文が交換せられて居ります。(證四六五號英文記録五三二七以下)

一九

右の一九四〇年(昭和十五年)十一月三十日の日華基本條約並に日華共同宣言、秘密協約、秘密協定、交換公文を通じて陸軍大臣として私の關心を持つた點が三つあります。一は條約等の實行と支那に於ける事實上の戰爭状態の確認、二は日本の撤兵、三は駐兵問題であります。

第一の條約の完全なる實行は政府も統帥部も亦出先の軍も總て同感で一日も早く條約の實行を爲すべきことを希望して居つたのであります。然るに我方の眞摯なる努力にも拘らず蒋介石氏は少しも反省せず米英の支援に依り戰鬪を續行し事實上の戰爭行爲が進行しつゝありました。占據地の治安のためにも、軍自身の安全のためにも、在留民の生命財産の保護のためにも、亦新政府自體の發展のためにも、條約の實行と共にこの事實上の戰爭状態を確認し、交戰の場合に必要な諸法則を準用するの必要がありました。これが基本條約附屬議定書中第一に現在戰鬪行爲が繼續する時代に於ては作戰に伴ふ特殊の状態の成立すること又、之に伴ふ必要なる手段を採るの必要が承認せられた所以であります。(法廷證四六四號英文寫四頁)第二の日本軍の撤兵については統帥部に於ても支那事變が解決すれば原則として一部を除いて全面撤兵には異存がなかつたのであります。我國の國防力の囘復のためにも其の必要がありました。然し撤兵には二つの要件があります。その中の一つといふのは日支の間の平和解決に依り戰爭が終了するといふことであります。その二つは故障なく撤兵するために後方の治安が確立するといふことであります。撤兵を實行するのには技術上約二年はかゝるのでありまして、後方の治安が惡くては撤兵實行が不能になります。これが附屬議定書第三條に中國政府は此期間治安の確立を保證すべき旨の規定を必要とした所以であります。(法廷證四六四、英文寫四頁)

第三の駐兵とは所謂「防共駐兵」が主であります。「防共駐兵」とは日支事變の重要なる原因の一つであるところの共産主義の破壞行爲に對し日支兩國が協同して、之を防衞せんとするものでありまして、事變中共産黨の勢力が擴大したのに鑑み、日本軍の駐兵が是非必要と考へられました。之は基本條約第三條及交換公文にもその規定があります。(法廷證四六四、四六五)そして所要の期間駐兵するといふことであつて必要がなくなれば撤兵するのであります。

以上は私が陸軍大臣として此條約に關係を持つた重なる事柄でありまして此の條約は從前の國際間の戰爭終結の場合に見るような領土の併合とか戰費の賠償とかいふことはありません。これは特に御留意を乞ひたき點であります。たゞ附屬議定書第四條には支那側の義務と日本側の義務とを相互的の關係に置き支那側の作戰に依つて日本在留民が蒙つた損害は中國側で賠償し中國側の難民は日本側で救助するといふ條項がある許りであります。(法廷證四六四、英文四頁)中國の主權及領土保全を尊重し、從前我國の持つて居つた治外法權を抛棄し租界は之を返還するといふ約束をしました。(基本條約一條、七條、法廷證四六四)

而して治外法權の抛棄及租界の返還等中國の國權の完備の爲に我國が約束した事柄は一九四三年(昭和十八年)春迄の間に逐次實行せられました。なほ一九四三年(昭和十八年)の日華同盟條約法廷證四六六に於て右基本條約に於て日本が權利として留保した駐兵其他の權利は全部抛棄してしまひました。

奥付